映画音楽の歴史をまとめたノート

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歴史上の音楽家のあれこれ
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昔勉強したノートが出てきましたので、せっかくなので載せておきます。気が向いたらきれいにするかもしれないです。

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歴史(映画黎明期・無声映画時代)

「シネマトグラフ」という史上最初(といわれる)映画が、1895年、パリのリュミエール兄弟によって作られる。

当然、最初は無声映画であるが、いわゆるBGMのような形で、3月の公開後、12月になるとPf伴奏がついていたという。

つまり世界最初の映画音楽は、ピアノを生演奏してたということである。

その後、1910年くらいまでは映画の後ろに、ベートーヴェンやチャイコのレコードをかけていた。

1910年前後から徐々に映画用音楽も作られるようになる。映画のために書き下ろした曲である。
大御所だとサンサーンス「ギーズ公の暗殺」

シェーンベルク「ある映画の場面への伴奏音楽」

トーキーまでの映画音楽は、「映画上映中に実際に演奏する用の曲」だ。
リヒャルトシュトラウスは「薔薇の騎士」の映画初公開時に映画音楽を指揮しようとしたが
映画音楽専門指揮者にそれを譲らざるを得なかった。

→トーキー以前の無声映画に対する現代作曲家のチャレンジは「失敗」であったとも言える。つまり、「映画上映中に実際に演奏する用の曲」というジャンルの開拓をすることはできなかった。トーキーという文化にとってかわられてしまったのだから。

(ちなみに)セルゲイ・エイゼンシュテイン監督「戦艦ポチュムキン(1925)」は
現在でもたびたび上映されている映画。ドイツの実験的作曲家エドムンド・マイセルが音楽をつけた。衝撃の強さで禁止されたが、楽譜紛失→ここ最近発見され話題になったという。

トーキー誕生による議論

そしてトーキー誕生。流行したが、モンタージュ論的な芸術からは遠ざかってしまった、としばしば批判された。以下にそれについての論を記す。

モンタージュ論とは、要は、映像も言語と同様に、または言語のように、知覚されうる記号であり、言語みたいに単語(ショット)の組み合わせで文章と同様な抽象的な意味を伝達できるという主張である。
なるほど。音楽にもこういう主張、どっかの論文にあるんだろうなあ。まあ言うまでもなく可能だろうけど。
要は映像で言語みたいに抽象的なものを伝達していたにもかかわらず、それを別情報である音楽を同時に流すことで、混ぜるな危険という風にしてしまった、という主張が、相次いだ。

映像と音の対位法をしなければ、という発想をする者も現れたという。なかなか大胆な対位法発言である。

映画と動きの関係も、矛盾点はあった。動きをクローズアップする手法によって、動きは本来の姿を超越したものになってしまう。それが無声映画である。
異世界であるはずの音楽が無声映画につくことによって、さらに表現の指向性におけるピポットが増え、より複雑な回路を持った芸術作品に昇華できるのではないかと当時の人々は考えたらしい。

これは面白い考えであるし、今の映画は別にそうなってないのが滑稽とも思える。

『同時性』には『自然物の』韻律、リズム、メロディー、音程のそれぞれの同時性がある。
映像も音楽も有機的統一を拒否し、「それ自体のために存在」するもの、要は映画の、その芸術表現のためだけにつくられたもので、自然の摂理とかのつながりはないし知ったことではないっていいたい。

映像対映像のモンタージュを音対音により対比的に観客に抽象的なイメージを与える
→映像対映像のモンタージュ→無声映画のことで、音対音とは、つまり映像内の風の音、セリフの音などと、それとは関係のない効果音、BGMだったりの2パターンを、モンタージュとして呼んでいる。

つまり、映画というのは、映像も現実と非現実的なものの2対、音も現実と非現実的なものの2対あると考えることができる。
→映像をさらに結ぶ効果がある。非現実的な音楽によって(つまりBGMによって共通項を持たせて)ってことかな?

そして実験。
1938「アレクサンドル・ネフスキー」セルゲイ・プロコフィエフと組んで、メロディ、リズムが映像に完全に一致した音楽を映像に与えることを試みる。

映像の造形的な断片(ショット)の個々の相と進行する音楽の個々のフレーズを垂直線上に共時的に結合することにより、作品のイメージと主題により師事される聴覚的対応をイメージ的に定率するという、複雑な視聴覚の対位法的を説明している。

視覚、聴覚、色彩、味覚等人間の全感覚を複合的に喚起する映画の想像を夢見たエイゼンシュテインのこの実験は〜

↑たぶんだけど、映像にでてくるすべての事象をメロディリズムに全部変換して同時に流し、対応している感を出して主題を定めて伝える強さを高めている、ってことかな?
全感覚喚起は無理だと思うんだけど・・?

そして、上で述べてきたモンタージュ論はまあ否定され、歴史的には音声は補助としてくっついてくる流れが大勢となる。


トーキー以降の映画音楽の歴史をざっくりと

1920年台 ジャズ隆興、禁酒法→シカゴギャング

1922「鉄路の白バラ」オネゲル
1923「ひとでなしの女」ミヨー
1924「幕間」サティ ミニマル・ミュージックの先駆
1926「サーカスのクレイジーキャット」ヒンデミット作曲
1926「ナポレオン」オネゲル
1927「イタリアの麦わら帽子」イベール

1928「新バビロン」ショスタコ

(別資料)
ウォルト・ディズニー(1901-1966)
1928「蒸気船ウィリー号」 光学式アニメーショントーキー
短い時間の移り変わりを表現した「古い風車」のもとがサンサーンスの「死の舞踏」
1940「ファンタジア」史上初のステレオ音声作品 音楽と動き、視覚と聴覚が合わさったモニュメントストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団演奏
バッハやベートーヴェンなど8曲が用いられ、10本のサントラのうち8本はシンフォニーのそれぞれの楽器からぱくってきたものである。
→9本目に全部の音をいれ、10本目で画面と音響をシンクロさせる。そしてスクリーンの背後、左右、上下。客席の側面や後方に設置。

1952 ジャンリトミ「ドビュッシーのための映像」

1926「ドンファン」史上最初のサウンドトラック
1927 「ジャズ・シンガー」 最初のトーキー(ワーナー・ブラザーズ捨て身)

ミュージカル 当初はしょぼい曲しかない。

アメリカ繁栄→没落→ナチ→アメリカはニューディール成功→みんなアメリカ亡命→ハリウッドに入る
ラジオでスウィング(ベニーグッドマン楽団)

第一回アカデミー作曲賞「コンチネンタル」
ロックフェラーやモルガンら財閥が不況なので全回収
→流れ作業化する。

Mローザ、EWコルンゴルト、Fワックスマン、Eゴールド、Bケイバンらがハリウッド入り。

ハリウッドの3人組
マックス・スタイナー:映画に画期的な手法をつぎつぎと導入
1932「六百万交響曲」アンダースコア セリフの後ろにも音楽 
1932 「キングコング」ライトモチーフ ワーグナーのやっていたキャラフレーズ

1939「風と共に去りぬ」集大成

アルフレッドニューマン:ミュージカル、恋愛、都会、コメディ、西部劇、戦争、歴史スペクタクルまで
本格クラシックからジャズ、ラテンまでなんでもやった人。

コルンゴルト:オーケストレーションが神

ウォルトン

1942 スピットファイア
1945 ヘンリー五世
↑絶対聴く!!(と院生の私はメモしたらしい)

アーサー・ベンジャミン
1934「暗殺者の家」

ベンジャミン・ブリテン:教育系が多かった。
1946 「オーケストラの楽器」

イギリス民謡調を近代書法で料理したヴォーン・ウィリアムズ
1941「北緯49度」
1948「南極のスコット」→改編され、交響曲第七番「南極交響曲」

リチャードアディンセル(舞台音楽出身)ラフマのピアコンみたいなロマンチックなコンチェルトをといわれ、
1940「危険な月光」のためにつくった「ワルシャワ協奏曲」大ヒット

コープランド
アメリカの音を発明 硬質、無機質 「エル・サロン・メヒコ」など
ビリーザキッド、ロデオなどのバレー音楽は後進に影響
レナード・バーンスタインやゴールドスミス、Jウィリアムズなど

ヒューゴー・フリードホーファー 下積み長い
コープランドの和声の影響
1946 「我らの障害の最良の年」

ディミトリ・ティオムキン 重厚なシンフォニックスタイル ウクライナ生まれ コープランドとは
また違うスタイルの西部劇音楽の様式を確立
1951 「真夏の決闘」

フランツ・ワックスマン 後期ロマンを貴重としながらジャズや現代音楽の技法を消化
1950 「サンセット大通り」
1951「陽の当たる場所」

レナード・バーンスタイン
1949「ミュージカル オン・ザ・タウンより 踊る大紐育」

アーサー・フリードの制作ミュージカル黄金時代(1950ー)

Gガーシュイン
1951「巴里のアメリカ人」

ヴィクターヤング 魅力的な旋律。ただし軽音楽出身のせいか、シンフォニックな厚みに欠ける。
呪いの家の星影のステラ、ラブレター、黄金の耳飾り ゴールデンイヤリング、マイ・フーリッシュ・ハート、遙かなる山の叫び声、シャニーギターなど、主題歌が大ヒット。
→1950年代前半は主題歌がヒットするように。単純で覚えやすいメロディのテーマソングが売れるから。

1950年代ハリウッドは1赤狩り2独禁法3テレビ
赤狩り→共産追放運動→監督やプロデューサーなどが次々に追放→自由な映画が作れなく
独禁法→会社の興行部門は製作・配給部門から分割→会社弱体化
テレビ→映画の客現象

以上の流れにより、画面巨大化や大規模化などをするが効果なく、手抜きサウンドと安易主題歌ヒット狙いに帰着。

大作希望によりさらに巨大なシンフォニーが欲しがられる。

アルフレッドニューマン 20世紀フォックスが大画面のシネマスコープ第一作としてつくった「聖衣」用に
壮大なシンフォニックスコア

問題の年1955
1955 黄金の腕 麻薬を取り上げた問題作
ショーティロジャーズ(tp)やシェリーマン(drms)などウェストコーストジャズのプレーヤーを本格起用し
ジャズスコアが誕生。
全体のスコアはエルマー・バーンスタインが担当
1957 チコ・ハミルトン「成功の甘き香り」
1959 デューク・エリントン「或る殺人」 これらはジャズの人がスコアを作ったもの

1955 「暴力教室」ビル・ヘイリー、ヒズ・コメッツによるロックンロール「ロックアラウンドザクロック」
フィーチャー→ロックが映画音楽に急激に浸透

(白人がロックに熱狂するのは1954年ころから)

レナード・ローゼンマン 現代音楽作曲家 
俳優ジェームズディーンの若いころの師匠で、映画に出るから作曲を推薦される→無調が書きたい→ムリ→世にも美しいテーマ曲
Vヤングのアレンジ。その後続・猿の惑星(1970)などを手がける。

バーナード・ハーマン
1955 「ハリーの災難」
1957「間違えられた男」
1958「めまい」陶酔するような愛のテーマ
1959「北北西に進路を取れ」めまぐるしいサスペンススコア
1960「サイコ」緊迫
1964「マーニー 赤い恐怖」切迫した中にも美しい
1966「引き裂かれたカーテン」売れる主題歌をというユニヴァーサル社の圧力にヒッチコックが屈したため
ハーマンのスコアを没に。

1953スターリン死、1956フルシチョフ スターリン批判→雪解け

フランスに「ヌーヴェル・ヴァーグ」という映画界の新しい波→アンチ劇映画スコア、アンチシンフォニック
→前編ジャズ、ブラームスやモーツァルトをそのまま
有能な監督ならいいけど実際は無能が行い、映画音楽衰退

そんな中
ジョルジュ・ドルリュー 音色柔らかく、寂しさとそれを慰めるやさしさ、フルート・オーボエ・チェロなどのメロディ
「恋のエチュード」「逃げ去る恋」「終電車」「隣の女」

ミシェル・ルグラン ジャズから管弦楽までこなす
1963「シェルブールの雨傘」

フランシス・レイ シャンソンライター エディット・ピアフやイヴ・モンタンの伴奏者だったこともある
とにかくセンチなメロ
1966「男と女」
「パリのめぐり逢い」「白い恋人たち」
オーケストレーターを雇い、音に厚みが。

1960年台 →ヨーロッパが調子を上げる

イギリスで「007」
→その音楽ジョン・バリー
◯聴いた。最初はギター?その後有名な金管。最後はバーンという音響にビブラフォンが混ざってるのがグッド。
モーリス・ジャール

1964「サンダーバード」のバリー・グレイ
子供向けなのに手抜きせず、健康的で晴れやかなシンフォニックオーケストラ

ニーノ・ロータ1954「道」音楽的素養+泣きメロ
「太陽がいっぱい」が有名だが「じゃじゃ馬ならし」や「ロミオとジュリエット」のほうがいい

エンニオ・モリコーネ「黄金の七人」

ハリウッド
Mジャール
アレックス・ノース トッホやコープランドに師事→なキメロもかけるけど南海

エルマー・バーンスタイン「荒野の七人」1960
アーネスト・ゴールド「渚にて」オーストラリア民謡「ワルツィング・マティルダ」を使用
「栄光への脱出」最高にかっこいい

ミュージカルブームが下火に
1961「ウェスト・サイド・ストーリー」
1964「マイ・フェア・レディ」
1965「サウンド・オブ・ミュージック」が最後

だんだんハリウッドが資金と配給網だけ受け持ち、作品はヨーロッパが作る作品が増える
→ハリウッド以外の作曲家の活躍
1966 ディノ・デ・ラウレンティスが作った「天地創造」
↑37歳の黛敏郎がシンフォニックスコアを書く!(ストラヴィンスキーが断ったから)

ヘンリー・マンシーニ(1924−)テレビ出身、明快で覚えやすいメロディ、ジャズ・ポップス風の軽いアレンジで
おしゃれに→人気
→サウンドトラックは軽音楽→シンフォニックスコアは嫌われるように

1962 キューバ危機、1963JFケネディ暗殺→ベトナム戦争、公民権運動、ブラックパワー、反戦運動、麻薬で、
アメリカ荒廃→1971ニクソンショック、1973オイルショック、ウォーターゲート事件

→ニューシネマの流れ、ポップス、ロックや既成曲を使用

1967「俺達に明日はない」など

1968「2001年宇宙の旅」Aノースの秀作スコアを没にし、リヒャシュトの「ツァラトゥストラ」をそのまま使用

1973「スティング」ジョブリンのラグタイム、
1973「アメリカン・グラフィティ」昔のポップス・ヒット(オールディーズ)をそのまま使用

ビル・コンティ、ラロ・シフリン、デイヴィッド・シャイア 軽音楽出身だがオケを書くことができる

ビル・コンティ
1976「ロッキー」ノテーマ 大ブレイク デスコティック音楽のリズムを用いる
→他のこともできた。
1980「勝利への脱出」
1983「ライトスタッフ」←シンフォニックスコア前回→アカデミー作曲賞

ラロ・シフリン
アルゼンチン生まれ、器用
「スパイ大作戦」「ダーティ・ハリー」
1973「燃えよドラゴン」

デイヴィッド・シャイア
ソングライター出身→「サブウェイパニック」でジャズ・バンドに12音技法を使用
1975「さらば愛しき女よ」メロウでジャジー
1984「2010年」宇宙ではシンセ、ラストでは太陽が誕生するためフルオケの壮大な曲
1985「オズ」

ヨーロッパ人がハリウッドデビュー
Jバリー「真夜中のカーボーイ」
モリコーネ「ウェスタン」

ルグラン「風のささやき」
1973「三銃士」
Nロータ「ゴットファーザー」「ゴットファーザーPART2」1973.1974

甘い風潮をものともしない
ジェリー・ゴールドスミス
荒々しくオトコっぽい硬質で乾いた鋭いトーン「ブルーマックス」「猿の惑星 」1968

パニック映画 災害を描くスケールの大きいスペクタクルの一連の作品群
1970「大空港」Aニューマン 力強い
1972「ポセイドン・アドベンチャー」「大地震」
「タワーリング・インフェルノ」1975「ジョーズ」ジョン・ウィリアムズ

1977- スターウォーズ以降

1977「スターウォーズ」→シンフォニックスコア復権

1978「スーパーマン」1982「ET」

Jゴールドスミスも急に注文が増える
1976「オーメン」1979「スター・トレック」1979「エイリアン」「トワイライトゾーン 超次元の世界」
「スーパーガール」
シンフォニックなスケールなら「オーメン 最後の闘争」メロディの重心素朴なら「ポルターガイスト」
ゴールドスミスらしさなら「トワイライトゾーン」「大列車強盗(SFではない)」

1970「ひまわり」Hマンシーニ ドラマティックスコア
「サンタクロース」「スペースバンパイア」本格的なシンフォニックスコアも書けたんじゃん

モリコーネ
異端児→まるでクラシックのような質の高い音楽
1978「天国の日々」天井の音楽
「サハラ」転調と楽器用法「ミッション」敬虔なミサの合唱に、
神父ガブリエルの吹く美しいオーボエが重なり、南米の打楽器が野性的なリズムを打ち始める……。
大自然と人間の祈りが融合した雄大な音楽
1989「ニューシネマパラダイス」小編成だが泣かせる

Nロータ「ナイル殺人事件」
Mジャール

ジェームズ・ホーナー
「宇宙の7人」
ブルースブロートン「ロスト・イン・スペース」 傑作
アラン・シルヴェストリ
リーホールドリッジ
ジョージフェントウ
ブライアン・メイ マッドマックス

ジェームズニュートンハワード
ジョエルマクニーリー
マークシェイクマン
トマス・ニューマン アルフレドニューマンの息子 「ショーシャンクの空に」「若草物語」

若手は技巧はもちろんだが歌心がある

ジョン・アディソン
ロングットウィン
ジョンスコット
リチャードロドニーベネット
フランソワ・ド・ルーベ
ウラディミール・コスマ

他にもドイツ、ロシア、日本

アーノルド・バックス

映像を見せてから音楽をつける
今回は初期→商業なのでオペラ、ミュージカル、バレエ、
グリーグのペールギュント
白鳥の湖 チャイコフスキー
→組曲にする技法は昔はある。

映画に音をつけるときの理論

1.状況の設定(時代・場所など)
2.エンファシス(感情表現の増強)
ヒッチコック監督の映画「サイコ」の中のシャワーシーンで鳴っているトリル音が良い例で、恐怖感や不安感を増強しています。
3.シークエンスの明確化(場面の連続と予測)
例えば映画「ゴジラ(1956)」の地鳴り音や「ゴジラがやってくる」のサウンドは、街が破壊される場面を反射的に予測させています。
4.フォトジェニー(映像と音楽の融合表現)

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