このページで取り上げる曲目リストはいわゆる「現代音楽」の手法としての教科書的な内容となっており、これをとりあえず押さえておけば節目節目はまぁわかるかな、という曲目。
現代音楽ってよくわからん、という人に、体系的に押さえておきたい派の方は参考になるかと思う。
ただ、フェイバリットというのは別腹であるので、これらがつまらんからといって現代音楽そのものを敬遠する必要はまったくない。むしろ、「現代音楽」から人々を敬遠させている原因のような、音楽的に万人に受けるかというと非常に賛否のわかれる楽曲が多いのがこの「教科書群」だということを、重ね重ね主張しておきたい。
春の祭典(リズム)1910年
民族音楽からとってきた「変拍子」。それのみを突き詰めたといっていい終楽章。
拍子が一定でなくころころ変わる。
初演当時の反響(賛否両論)はすさまじかった。
プログレッシブ・ロック等他ジャンルへも未だに影響を与え続けている。
リゲティ:Musica Ricercata (1951−53)
ラだけで構成された曲。民謡的なリズムのおもしろさを生かした曲。
Steve Reich -Electric Counterpoint
いわゆる「ミニマル・ミュージック」。変化最小の楽曲。アメリカで主に出現した。無調への対抗馬としての側面も持つ。この曲はその発生からは、だいぶ後年の作品ではあるが。
わかりやすさで言えばわかりやすいだろう。繰り返しばかりで飽きると言われればそれもそう思う。
リゲティ Atmosphères
「トーンクラスター」と呼ばれる音の塊。ピアノで言うと腕で全音押さえてしまうような、すべての音を同時に出してしまう手法。
月に憑かれたピエロ(シュプリッヒシュテンメ)1912
シュプレッヒシュテンメという「しゃべりか歌か曖昧」な歌。
そして音色に関してものちに十二音技法という無調の代名詞みたいな手法に走ることになるシェーンベルクのいやらしいハーモニーが使われている。
耽美なその世界観が好きな人はハマるだろうし、ごちゃっとしててよくわからん、って人もいるだろう。そしてシェーンベルクが嫌いになるのはまだ早い。同じシェーンベルクでも「ツァラトゥストラはかく語りき」みたいに映画にもなるようなわかりやすい曲もある。
6声のリチェルカーレ(音色対位法)
これは原曲がバッハで、ヴェーベルンはただ編曲しただけである。
が、その編曲が特徴的で、2〜4音ごとに楽器がころころ変わっていってしまう。当然フーガでは命となるフレージングはそのままにしていたらぶちぶち切れてしまう。そこをどう料理するの?と問うている曲である。音色で対位法やってる、などとも言われた。
あまりに渋い。この渋さが好きな人はヴェーベルンはおそろしく完成度が高いのでハマるだろう。バッハの発展系という感じの、ドイツ色ここに極まれりという作風である。渋すぎてキツい人はキツイだろう。
ジョンケージ 4:33
言わずと知れたネタ曲、ジョンケージの4分33秒。
音楽、ライブの存在意義に関して問うた作品である。
意義などについて考え始めると、実はやっかいな曲であるが、一応触れておくと、作曲家のジョン・ケージが「無音室に入ったら俺の心臓の鼓動が聴こえた、ってことは無音って存在しないんじゃない?ということは無音のコンサートって存在しないんじゃない?」みたいなことをもうちょっと体系的に考えて作った曲である。
シェーンベルグ組曲作品25”前奏曲”
よくありがちな現代音楽のイメージ1。
これは12音技法をシェーンベルグがはじめて使った曲であるが、別に今日のほとんどの現代音楽関係の人がこれを好き好んで聴いてないと思う。ので聴かなくて良いです。
ピアニストのためのコロナ(図形楽譜)
よくありがちな現代音楽のイメージ2。
特徴は楽譜が図形で出来ていること。そして2020年5月現在、タイトルが不穏すぎる。
楽譜の書き方なんぞ、聴いてる人にはどうでもよくね?と言われればその通りで、私もそう思う。歴史の1部であること以上の価値は、あまり感じづらいと言わざるを得ない。
というわけで
よく作曲の生徒と話すのだがこれらに関する感想で、ほぼすべての曲を好きな人はいない。
むしろ1個か2個好きなものが見つかればもうけものである。
1個もなかったとしても、それが普通なので、これで「現代音楽って私には合わない、私ってダメな民なんだわ」と思い込まないことが肝要である。
もしよろしければ私の他のページにある音楽も試聴してみてほしいと思う。
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