11.7追記:記事を読んでくださりありがとうございます。温かいコメントも頂きまして嬉しく存じます。この記事の拡散は自由ですが、もしよろしければ拡散時にご一報頂けると嬉しく存じます。
7.21追記:他人や自分のセンシティブなことをネタにしたくない、とも思うので、記事を消そうか常に迷っているが、私自身は彼の過去の思い出があれば読みたい。なので現在は密やかに掲載しておくこととする。この話題、もういいよ、悲しくなるから、っていう方の気持ちもわかるので、拡散しやすいようなTwitter等には書かないことにしている。
写真はクラス写真の切り抜き。右が私で左が彼である。
思い出
幼馴染である、と大見得を切れるほどの関係では無いが、比較的引越しの多かった私は大阪生まれで、千葉から茨城へ転校した。小4の私が転校した先のクラスに、彼がいた。
田舎の学校だった。農家の子供が多いその地ではヨソ者は彼と私くらいであったこともあり、比較的気が合い、一時期は放課後とかも二人でよく遊んだ。とはいえ、1、2年で彼のほうが転校していってしまったが。
ということで共に過ごしたのは短い間だがいくつかの強い記憶がある。
うちに遊びにきていた時にやっていたこととして覚えているのは専らスマブラと遊戯王。とにかく負けるとめちゃくちゃ悔しがっていた。勝つまでやめない。そして勝った時のあの憎たらしいほどの笑顔は脳裏に焼き付いて離れない。なんちゅう憎たらしいやっちゃ、ってことで苦手なクラスメイトも多かったであろうくらい、言い争いでもなんでもプライドが高く負けず嫌い。現在知られているのは、誰にでも優しいイメージであろうが、当時ももちろん優しかったが、それよりもプライドが高いイメージのほうが強かった。
人懐っこかったイメージも強い。ちょっかいかけるの大好き。一時期標的にされた私は下校の整列を無視して追いかけ回され、妹に「兄と春馬がいつまで経っても整列せず追いかけっこをしているので帰れない」と怒られたこともあった。
学校のイベントで竹取物語の演劇をやったのも覚えている。私とは別のグループで、私も竹取の翁の役で、まぁわからんなりになんとなく演じたのち、彼の発表を見たのだが、かぐや姫が行ってしまった時の翁が手を伸ばし、ああ行ってしまった、みたいな演技をして、教室が静まり返っていたのを、その時の構図、彼の体の形まで鮮明に覚えている。自分のものとの次元の違いを痛感し、これがプロか、というのを幼ながらに感じたのである。(小学校の友人で、似たようなことを私の音楽に感じた、と言ってくれる人はたまにいるが、それは全然別次元の話で、たまたまピアノのコンクール等に出るような同級生がいなかったからちょっと凄そうに見えただけだと思う。)
当時から子役としてテレビにも出ていた。撮影で忙しい時期は学校に来なかった。ただ朝の会で担任が「朝の会だけでも本当は顔を出したいんだ、と言っている」と毎日のように言っていた。(私などはそれを聞きながら、ホントかよ、学校サボってテレビ出れるなら最高じゃねーか、全然気持ちわからんわ、などとその日の憂鬱な時間割表を眺めながら思ったものである。)
転向後もサッカークラブのみこちらに顔を出していた。なので、小6まではコンスタントに顔を合わせていた。ただ、慢性的に忙しそうではあった。
その後はもう会っていない。連絡は取れたが、会おうとはなかなかならず、高校はもう東京に行ってしまったこともあり、テレビで見て有名になっていくのを眺めていた。友人である思い出は過去のものとなり、有名芸能人として遠くに羽ばたいていった。
私よりももっと家族ぐるみの付き合いであった小学校の同級と、訃報が出た夜に電話で話した。彼を思い出した時に浮かぶのが「勝ち誇った時の笑顔」だということで一致したのが印象的だった。家中の酒を飲んだが酔えなかった。
プライドが高いがあまり、弱みをあまり見せられなかったのではないか、実は脆いやつだという感覚はなんとなく子どもの頃にもあったのではないか、みたいなことは言ってはみたものの、その言葉が虚しく消えていくのを感じる。近年の彼と話をしたわけでもないので、ネットでよく見かける憶測と何も変わらない。もうそんなことを考えても仕方がない。
この騒ぎに便乗して、憶測でいろいろ言ったり、新たに人を傷つけるような行為に至らないでほしいと願っている。静かに悲しむことしかできないと感じる。
同世代として、同郷として、命を燃やしながら魅力を振りまいてくれた彼に感謝をするしかない。ネットで見かける彼のエピソードはどれも優しさに溢れている。そういうのを聞きたい。彼の輝ける魅力の記憶を胸に、静かに悲しんだあと、生きていきたい。
コメント
貴重なお話をありがとうございます どうかどうか・・いつまでも消さずにおいておいてくださいますよう切にお願いいたします
リアルな春馬くん。そして言葉にすごく気を使ってくださった思い出話。嬉しかったです。音楽のような流れるような弾むような言葉ひとつひとつで、幼い頃の春馬くんがつづられていて、クスっと笑ったり、あ、久しぶりに口角の上がっている自分を感じました。こんな思いで話ばかりならファンの心も癒されるのに
お礼が言いたくてメッセージ送らせてもらいました。
投稿ありがとうございます。
素の飾らない彼の姿が垣間見れた気がします。負けたくなかったのですかね。
今となっては何もわかりませんが、医療者として自死ということは、やはり病気です。あの笑みで死ぬのかなと、思いました。が、せかほしのまばたきの多さから考えるとやはりそうかなと思ったりします。少し休暇をあげたかったですね。年単位で。才能豊かな素晴らしい方をなくしたことは本当に残念です。
芸能界、特に子役から関わっている方には、ぜひ児童心理学等を踏まえて関わっていただきたいとおもいます。本当に貴重なお話ありがとうございました。
こちらを見ることができてよかった。
ここでだけ、この気持ち共有させていただきます。
ありがとうございます。
私には子どもがいます。
多分門田さん、春馬くんに執着されてましたね。ごめんなさい、笑いました。
そんな人がいたんだ、いるよねって思い嬉しかったです。
そこから先もますます圧倒的に生きてきたし、彼はそれを小さな頃から自負してきた。のかな。
彼本来やんちゃな男の子と言うのと、自分に自信を持ってやってきた、それも努力に基づいてって言うの。
想像がついてました^_^
どこかとても頑なですもん。
それにあの笑顔、王子様と春馬くんしかできない。
少し緩みました。
本当にありがとうございました。
長くなってしまってごめんなさい。
門田さん、春馬くんとの思い出に邪魔になりませんことを思いながら。
春馬くん門田さんのことお気に入り、大好きだったことでしょう。
子ども時代に戻りたいって言ってましたよ。山で遊んでたのも楽しそうに話してらしたです。
大切な思い出話、ありがとうございました。
息を切らして追いかけっこする(追いかけられる!?)様子 目に浮かびます。
勝つまでやめないなんて、負けん気強い牡羊座らしいエピソード。
小さい頃はやんちゃな一面があったんですね。
その負けん気があったから 芸能界で やっていけたのでしょうね。
”チックル食堂 三浦春馬さんのこと” というアメブロに
春馬さんが 「いいなー!小学生。俺も戻りたいーーーだって何をやっても楽しい時期じゃん」と答えた
インタビュー記事が載ってます。
もし、よかったら読んでみてください。
コメントでのお返事にURLを貼らせて頂きましたのでご報告させて頂きます
まずかったら消しますので仰ってください
夫がつくば市出身です 門田さんの更なるご活躍を今後も楽しみにしております!!
https://twitter.com/ibu_k1tty/status/1324395599857410053?s=20
幼少期の思い出をシェアしてくださり、ありがとうございます。
小さい頃から大人に囲まれて、子役であることを演じていたであろう彼が、唯一ただの子供に戻れた時間だったんですね。
文章から春馬君の溌剌とした姿が浮かびました。私も含め、未だ深い悲しみにいる人が少しでも癒されるよう、シェアさせていただきたいと思います。
心が苦しくなるとここに来て定期的に読ませていただいていました。人生の半分位ずっと好きで憧れていた人だったし、あまりの悲しい突然の亡くなり方に相当のショックを受けました。
いつになったら心穏やかに彼を思い出す事が出来るのでしょう。
仕事をして仲間と楽しく過ごしての1日の中で必ず悲しみの瞬間が急に襲ってきます。
とても苦しいです。こんな経験初めてでどうしたらいいか分からないです。
約半年が過ぎ門田さんの想いに変化はありましたか?また気持ちを綴っていただきたいです。
こちら私のお気に入りYouTuberのスレッドに
URL貼らせて頂きましたm(_ _)m
春馬くんファンが集っている所です。
彼の素敵な想い出を綴って下さってありがとうございます。
春馬くんとの思い出をシェアして下さりありがとうございます。
「役者で一番になりたい」「誰にも似ていない役者になりたい」「この役は自分こそがやるべきだ」……
謙虚で繊細な彼を突き動かすものは、作品への愛やリスペクトなのだと考えていたのですが、それだけではなく、天性の、性格としての勝ち気さ、野心家なところがあったのだと知って、安心しました。
ちょっと寂しい子供時代だったのかなと…何か抱えているような憂いのある瞳が印象的であったため、そちらに偏ったイメージを持っていたので…。
負けず嫌いで涙もろい、そんな小4の春馬くんが浮かびます。
でも…門田さんと出会わなければ、全く違った学校生活だったでしょうね。本当に寂しくなっていたかも、と思います。ピアノ男子と演劇男子だったからこその。
次の転校先では双子のお友達と巡り会い…
一人っ子の春馬くんにとって、学校の友人がどれ程大切で、影響が大きかったかと思います。
アイドル的な存在でもあった彼が、模索をする内に、歌やダンスに対し芸術的な高みを極めようとしていた、その他武士道精神、職人技、、完璧と洗練を目指していたことを急逝後に知り、深く惹きつけられました。
孤独な追求だからこそ、共同制作作業や、観客とのシェアも強く欲するのだろうか…と。
音楽家である門田さんが、春馬くんを静かに悼み考察していらっしゃるこの記事は、彼の突然の不在に際限なく浮き沈みする私に、落ち着いた時間をもたらして下さいました。
ありがとうございます。
昔に同大ピアノ科を卒業し、現在音楽関係の仕事に就いています。勝手に親近感を感じております。
門田さんのご活躍をお祈りいたします。
長々すみませんでした。
この記事を引用ツイートされている方がいらっしゃいますので、そのツイートを引用させていただきます!
貴重な思い出の記事をありがとうございました😊