作曲家が自作を語ることについてメリット・デメリット

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作曲家その人物の立ち位置が現れる。

無論制作背景において語りたいことなど山程ある。しかしそれをたとえばプレトークにおいてどのように出すべきなのかについては議論の余地があろう。

メリットのほうが長いので先にデメリットを述べる。

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しゃべるデメリット

1:作品をなるべくフラットな状態で見てほしいので話さない

いろいろ話をしすぎるとネタバレを含んでしまい新鮮味がない。とくに初演の場合、初演というのは一度しかできないので、ネタバレなしという貴重な機会を自ら奪いに行くのはよくないという考えはあるだろう。

2:喋りはプロでないので蛇足となりえる

作曲家はどちらかというと長考に慣れているので手短で流暢なしゃべりを不得手とする例が多い。(講師をしていて話がうまい作曲家もいるし、講師をしているのに話が下手な作曲家もいる)時間をかけて磨き上げた時間芸術のコンマ数秒にこだわったものの前に、適当なしゃべりをする意味はないと考える人間が多いのは必然である。

3:下記メリットにあることが寧ろデメリットではないかと思えるので話さない

これはメリットを参照。

しゃべるメリット

1:作品解釈のヒントを置くことで興味をもって聴ける

専門家であろうと1回で全容を理解できる作品は少ない。何かのきっかけがあると変わるだろう。文章においてプログラムノートを用意している場合でも、言葉で念を押すことは無駄ではない場合もある。無駄な場合もある。

2:場が砕ける

初演者との馴れ初め等他愛もないエピソードを聴いて物語性をもたせる。作曲者そのものを好きになってもらうという効果もある。「作品そのものの価値には関係ない!」としてこういうのを嫌う人もいる。

3:作品のすごさをアピールできる

これこれこういう法則に則って・・・こういう哲学が盛り込まれていて・・・制作に何日かけました、などと話すことでこの作品がどれだけすごいものなのかをアピールできる。すごいものを聴くのだ、と聴衆に刷り込ませる効果がある。「他愛もないエピソード」「作品解釈」との線引は難しいが、実際これになってしまっている人は多い。そしてそれを素直にすげーと受け取り、その感情がそのまま作品そのものへの評価に影響してしまう聴衆も多いのだ。まさに「彼らはラーメンを食ってるんじゃない、情報を食ってるんだ!」の名ゼリフ状態である。

https://www.manga-news.jp/article/8716/

これは果たしてメリットなの?ということは、各々が自らの胸に手を当てて考えるべきことであろう。

4:生きてる作曲家は貴重なのでなんでもいいからしゃべる

ベートーヴェンのしゃべる姿を見ることはもうかなわない。それを考えると、同時代を共にしている作曲家の話を聴くことそのものに意義を感じる、という思想である。曲がりなりにも作曲家である私本人の意見としては、しゃべりの価値というのは作曲家だろうが演奏家だろうがビジネスマンであろうが、話の内容が優れた人間であることに意義があるわけなので、「作曲家という肩書をもつ人の話」にとりわけ価値があるとは全くもって思っていないのだが、仕事が減るといけないのでなるべく言わずに黙っていることにしている。

ということで

考え方はそれぞれである。上記のバランスを見ながら判断するしかない。曲や演奏会によって変えてもいい。あと、例えば同じ意味を伝えるにしても「文章」にしたほうが聴衆が任意に情報を受容するか選択できるのでいいみたいな議論もあると思う。いずれにしてもある程度作品への印象に影響をあたえる話であるとは思うので作曲家各自がある程度の考えをまとめておくのは悪くない。が、いうまでもなく、「作品そのもの」のほうが重要である。ゆえに、「プレトークについて思考する時間と労力を作品に注いだほうがいい」と決めて臨む考え方もまた、間違いとは言えないだろう。

ちなみに私の場合

一応作曲家なので自らのスタンスも記しておく。

簡潔にしゃべりはあったほうがいいと思う。作品の世界に入るヒントになるように、
「作品を聴く意味」を伝える、ということである。これから、その人にとって、一生に一度しかない時間を自分の作品の聴取に費やしてもらうのである。余計なことではなく、「これこれこういう流れで作られました」という客観的事実があれば「思考や出来事の果てにどのような結末になったのか」という「結果」として作品を受容することができる。「何が飛んでくるかわからん」という状態じゃなく、受容の前の材料は揃えておいてあげるのだ。例えばこれからゲームの「マリオ」をプレイする者に「Aでジャンプ」だと説明することは必要だと思うし、「これをつくったプログラムは・・・」などというウンチクは余計であろうと思う。「がんばりました」という感情論のアピールも肩書などをことさらアピールすることも余計である。それが「誠意」であろうと思う。そして、このブログでそのあたりの思考をベラベラしゃべっている行為はその「誠意」への逸脱行為である。そのあたりの葛藤をわかってほしいという気持ちもあるので、つい書いてしまった。これは自分の考えをまとめたいという意図と、世の中を泳ぎ切る一つの足掻きである。演奏前にこういうことをごちゃごちゃ話すことはないので、ここだけということで許していただきたい。

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