「なかなか世に作品を出せない・・・」ジレンマのパターンと向き合い方

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「恥ずかしいものは世に出せない」と考えてしまうことによって起こること

ちょっと自分のレッスンで話したことの編集版という感じの記事。

「こんな恥ずかしいものを世に出せない!」という気持ちはクリエイターにとっては大切なことである。その磨き方は、最も美しい光り方を作品に与えられると私は思っている。

ただし世に出さないとそもそも成長しない、と、吉田兼好が言っていたのは有名な話で、実感のある人も多いだろう。

つまり、作品を書き始めて「こんなに恥ずかしいものは世に出せない」と考えてしまい、「書いても書いても良いものができない」そして「世に出してないから成長が遅い、成長しない」すなわち「永遠に世に出せない」という悪循環に陥ってしまう、というのが、完璧主義的な思想の作家あるあるだと思う。

最初の1作品をめちゃくちゃがんばって作らなければならなくなるし、とりあえずしょぼいものを出しまくっている人のほうが成長がはやいので、それより高いクオリティ、高いクオリティと悶々と考えてるうちに、永遠に出せない可能性のほうが高い。

こういった矛盾を考えてるうちに、めんどくさくなってやらなくなる。時間や経済的に、そのほうが合理的だからである。合理的な判断ができるやつほど、そう考えて、やめとくか、となる。

経済も時間も有限である。周りへの迷惑などを考えても、じゃあやめとくか、と考える判断は非常に合理的で優しい。

が、せっかくの才能が世に出ないのはもったいない。しょぼいものを出しまくって成長しているものだけが世に溢れてしまうよりも、いろんなものが世にあったほうが我々は豊かだと思う。

だから、このジレンマの解消法あるいは緩和法をちょっと考えてみたい。

叩かれるのが嫌なだけじゃないのか。

これは出したら恥ずかしい、という気持ちと不可分なところがある。

たぶん、自分が観客として見てたら、ああそんなもんか、と思うんだろうな、と思ってしまい、作品を出すのをためらう。

これはたぶん、叩かれ方をシミュレーションできるかどうか、というところだろう。
どういう人に、どういう視点で叩かれたくないのか。
叩こうと思えばどのような作品も叩けるのだ。

ケツを出して暴れまわるような芸人が大好きな人に「よくわからん」と言われるのは別に構わないかもしれない。

その手の専門家に「ここはなんとかエクリチュールがどうたら・・・」などと詰められるのはもう放置でいいと考えるとか。

どんな批評もばっちこいノーガードでいくぜ、というふうにするのもそれはそれで問題を引き起こす可能性があるので、どの程度ならOKに設定するのかを考えるのは結構効果的である。

そのかわり、加点方式で、この人とこの人にだけは響いてほしいな、など、どのような人に褒められるか、というのと併せて考えるのがポイントだろう。

本来、そちらのほうが大切なことであることをどうぞお忘れなく。

実はそういう悶々とした時期を過ごさないと成長できない部分もある

自己の中だけで結びつくなにかもあるだろう。外に出すことによる成長なんてものは、世間の誰かとのコミュニケーションによる成長が主である。

それだけで成長していくと、他人の評価という面では成長するが、自分が勧めたい方向性に行くかは疑問が残る。

つまり、「世に出せないと成長しない」という吉田兼好の話に対し、必ずしもそれだけじゃねーんだよ、ということができる。これはジャンルや目指したい作家像によってある程度まちまちだが、私自身は世に出せないでごちゃごちゃ考えた時期は非常に効果的だったと思っている。

本番をとりあえず組んじゃう

ほっとくとどうせ上記のような面倒くささで進まない。

ところが締切があると筆がすすんだ、という人は多い。まあ人間というものはそんなもんだ。

ということで仕事として請け負ったら悠然と筆が進む場合は多いのだが、これはそもそもそんなのこねーから、って人も多いだろう。

その場合、本番会場をとりあえずおさえちゃう、動画に週1でとって友人に送るとコミットメントしちゃう、とか、とりあえず先に締め切りを設定しちゃうっていう手がある。これができる人は少ない。偉い。私は苦手。

無理して世に出さなくてもいい

作ることに意義があるので、出す必要はない、と考えることもできる。これだと世の中的には困るし、本人も成長しないわ金もお褒めの言葉ももらえなくてかわいそうだが、本人がそれでいいならもうそれで良い(この記事のスタンスからは逸脱するけど・・・)

見る人を制限する

信頼する人間にのみ出して、意見を募る。ひとりじゃないほうがいい。先生だけ、とかになるとあまり良い結果は得られないので、友人や家族などに見せてみる。だいたい近しい人なら褒めてくれるので、「あえて良くないところを言うと?」みたいに迫ると良くないところも教えてくれるかもしれない。で、「いや、強いて良くないところを考えてもないけどなぁ」みたいな感じで返されたなら、本当にある程度いい作品じゃん、ってその人は思ってるってことだ。ていうかまぁそうなんだろう。世の中の人は君ほど作品を批評的に見てないんだ。

そういう形で誰かに肯定されることは良いエネルギーになる。意図的にそういうエネルギーをどこかから得ようとする仕掛けづくりも大切だ。これが行き過ぎると周りにイエスマンばかり囲った某なんとかさんや某なんとかさんみたいになるので、ある程度で止める必要もあるけど。

素人の意見なんていらない、専門家にききたいんだ!という場合は、直接の先生とは違うつてで、その道の専門家を紹介してもらおう。例えばあなたが作曲志望で作曲家の専門家をさがしているとする。そうすれば演奏家の知り合いに聞いてみよう。一人くらい知り合いがいると思う。そいつに1回だけでいいんでレッスンお願いできますかとか言えばしてくれるかもしれない。そしていいところと悪いところを教えて下さいなどといえば教えてくれるだろう。人の作品に対する評価なんてものがいかに人それぞれでバラバラかがよくわかると思う。礼儀とかそういうのも知り合いのその人に気をつけるべきことを聞けばあまり気にしなくても良い。そういうレッスン関係のめんどくさい風習は最近だいぶ消えてきているはず。

発表の舞台がそもそもない、つくるのがダルい

まあこれなんですよね。このハードルは面倒ではある。

演奏可能なカフェなど、場所代はほとんどかからないところもあるので、探して発表するのも手だろう。

あとは何かの折に動画におさめて人に見せるとかでも良い。

動画サイトにアップというのは実は人のレスポンスがあまり感じられないのでちょっと知名度が上がってこないと実はあまり良くないと思う。

というわけで

とまあこんな感じでいろいろ考えつついい感じに作品と折り合いをつけられるといいね。

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