[自作解説]Kiregire(2017)for Chamber Ochestra (久石譲YCC受賞作品)

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[Works]Contemporary/Classical
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久石譲Young Composer’s CompetitionVol.1(2017)、通称YCC受賞作品「きれぎれ」についての解説。ファッションミニマル作品です。

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初演音源

初演音源(2017)は、下記リンク先の真ん中あたりで聴けます。

久石譲プレゼンツ ミュージック・フューチャー Vol.7
久石譲が届ける

楽譜はこちら

[PDF楽譜]Kiregire(2017)for Chamber Orchestra | mokazutaka powered by BASE
久石譲Joe Hisaishi Young Composer's Competition Vol.1 受賞作。詳細はこちら:※スコアのみの販売となります。パート譜をお求めの場合はご相談ください。

初演時の曲目解説(2017)

ミニマルミュージックとしては比較的ありきたりな曲想から始まりますが、その曲想の一角をなしている楽器が勢いを失い、遅くなって消失していくさまが曲のポイントになりました。反復運動をしているとだんだん疲れてきて脱落していく、ある意味では筋肉のような生命力とも、機械の部品ともとれる感覚だと思います。また、空気や植物、水、雲などの自然現象にも感じられました。まだ元気で頑張っているものとのリズムの対比などが表現できないかと考えたところが、作曲の原点となりました。
 練習番号A~Cは同時に和音をなしていた楽器が消失していったり、また新たに生まれたりを繰り返しながら進んでいきます。練習番号D~Fは今まで16分音符がずっと続いていたエネルギーが途切れることにより、ピッチカートによるビート感と木管による旋律へエネルギーが移り変わっていきます。練習番号Gからは木管主体で、うごめくような音形を繰り返しながら次第に高いEs音を目指していきます。ここは逆に成長を感じられる感覚です。練習番号 Iに入るとエネルギッシュな旋律と拍感となります。A~Cの無機的なイメージと表裏一体でありたいとも思いました。ピアノ・マリンバ・弦によるリズム隊全体がリズムをつまずいたことにより力を失い、とけて気化し、冒頭のイメージに戻ることを意図しました。練習番号Kからは冒頭の再現部ですが、練習番A~Cと異なり、すべての楽器が一度に減速し、消え去ることで、曲が終了します。
 全体的に意識したことは、興味のあったミニマルミュージックの作風を参考にすること、減速・消失のコンセプトをリズム的な面白さとして取り入れること、調性や旋律を自然に用いることです。

「きれぎれ(2017)」受賞
久石譲プレゼンツ ミュージックフューチャーvol.4における作品公募で拙作「きれぎれ」が最優秀賞をいただき、2017年10月24日、同コンサートにて初演されました。記事。↓

曲を書いた経緯

「久石譲Young Composer’s Competition」というコンクールを念頭に書かれた曲です。コンクール自体は友人にリンクを送ってもらって知りました。ちなみに送ってもらったのが7月1週目くらいで、締め切りは7月末まで(必着)。応募費用が無料であったことが大変魅力的に思えたのを、よく覚えています。当時7月20日くらいまで他に手がつけられない仕事があったので、それが終わってから正味7日ほどで突貫工事で作った作品となりました。

久石さんは映画音楽で知られておりますが、現代音楽方面においてはミニマルミュージックを中心に現代音楽のコンサートの企画を頻繁に行なっておりました。コンクールの募集要項にも「ミニマルミュージックなど、難解でなく、聴衆と高いコミュニケーション能力をもつもの」みたいな記述があったので、ミニマルミュージック風の作品であれば通りやすいのではないかと考えました。

ミニマルミュージックについて

コピペ・ミュージックというステレオタイプに対して

ミニマルミュージック風の作品、という条件で作曲にとりかかったのですが、ある意味では蔓延している、「ミニマル・ミュージック=コピペ」という特徴を逆手にとるような、自嘲的な音楽にしようと思いました。「現代においては楽譜制作ソフトで楽勝に量産できる」ということから忌み嫌われることが多いのですが、それをあえてやり、あえてやる意味を考えました。ファッションミニマル作品としての皮をあえてかぶろうと思ったわけです。

ライヒの初期曲などでは、最小限の反復を繰り返し、そのまま突然終わるものが多いのですが、今作においては、繰り返しをしているとだんだん疲れていてその繰り返しが遅くなっていったりします。また、逆に繰り返すことによってその繰り返しがだんだん伸びていったりします。機械的なイメージの多かったミニマルミュージックの作風とは違い、細かい変化をたくさん入れることによって、変化の富んだ豊かな曲になりました。

「きれぎれ」楽譜の一部。

ミニマル・ミュージックという概念に対して

ミニマルミュージックが発達した1960年代は、私はもちろんいませんが、想像するに、機械への憧憬と未来感というものへ希望があふれていた時代なのだろうな、と思います。そんな時代に均一性をもった音楽は新鮮で、シンセサイザーの音楽は一世を風靡したとされています。ところが今は、電子機器に当たり前のように囲まれて生活していて、手軽にコピペ可能な時代。ある意味、ミニマルミュージックのコンセプトは、テクノ等へ受け継がれ、その祖として役目を終えたのかな、という印象を持ちます。

では今の時代にもしミニマルミュージック的な作品が存在しうるとしたら、どのような形のものだろうと考えた時に、微細なつぶつぶにこそ、逆に肉体・有機物性を持たせてしまったほうが、現在に存在する意味があるんじゃないかと思ったのです。それにより微生物の増殖だったり、機械だとしてもガソリンが切れたりなど、「有限であること」「変質するもの」ということが、ある意味大切にしたいとことなのかな、と。

細かいものであろうが常に変質する。それによって何が想起されるかというと、実際の人間が演奏する意味(肉体性への希求)です。実際微細な変化だけを楽しむならコンピュータのほうが得意であり、実際テクノ方面で似たような趣旨の音楽はたくさんあるので、人間が演奏をする意味、それをコンサートホールで聴くという意味を見出すには、「生きてる」感じというのは不可欠だと思っい、そういったメッセージもこの曲に込めようと思いました。

初演後の実感

足本憲治氏、小沼純一氏、島田雅彦氏、高畑勲氏、西村朗氏、久石譲氏という豪華メンバーによる審査をいただきました。

久石さんは、冒頭のアイデアを褒めてくださり、並んでリハーサルに臨みました。手厳しい審査の講評とは裏腹に優しく、初演後、喫煙室で二人きりでいろいろなお話をしました。

自作を聴いて

この作品が一応評価されたから、賞をいただいたのだと認識しつつ、アイデアを煮詰めるという意味ではもっとやりようあったかな、などと思っております。やりたいことをいくつか出来たのは良かったですが、響きとしてはミニマル・ミュージックという枠に収まっており、それが単調。メロディが出現するプロセスも雑で、大局的には結局なにがしたかったのかわかりにくい。中途半端さが今聴き直すと目立ちます。

精神的続編「つれづれ(2019)」へ

よりストイックに変化を常にしている曲になります。

こちらの曲や今後の活動、そして世の中のミニマル・ミュージックや音楽の聴かれ方につながれば良いなあなどと考えています。

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