この質問をもらうとサクッと答えるのに窮する。
「音楽家に個性は必要か?」
実はこのテーマは現実と理想、TPOに合わせて変質する、話しづらいテーマであるのだ。
ざっくりと答えになるものを、という思いでまとめてみた。
実用的なものとして考えるかどうか
音楽が今必要とされている場面で、音楽に個性が必要かと言われれば、「なくてもあってもよい」というのが答えだろう。
映像に音楽をつける際には、個性がないほうがハマりが良い場合もありえる。舞台でも、BGMでもそうだ。アマチュア音楽は演奏のしやすさと鳴らした時の実感が大切なので、個性は二の次だ。
一方、音楽だけで成立させるアーティストなどが全員「無個性」になってしまったら、多様性がなくなってしまい、つまらなくなってしまうだろう。あなたが応援しているアーティストも生まれてこなく、スーパーのBGMしか流れていないのはつらい。
と考えると「音楽に個性は必要か?」という答えをざっくり言うと、「誰かは個性的なものを作っている状況が業界とか人類のためを考えると好ましい」ってことになるのではないだろうか。
「個性」とは?
例えば今流行ってるバンドを聴いて、「個性的」だと考えるかどうかは人による。
「髭男」と「ミスチル」の違いがわからない人にとっては、JPop系のバンドってどれも一緒じゃん、となるし、
マーラーとドビュッシーが一緒に聴こえる人ももちろんいる。
「個性的」とパッと思いつくのが「水曜日のカンパネラ」の人と、「オリヴィエ・メシアン」の人と、「アルカ」の人がいると思うけど、音楽史的に、なんとなくパフォーマンス的に、サウンド的に、などいろんな軸での個性がある。
どれもみな「個性的」とみなされうるので、ここでは個性としてとらえていいんじゃないかと思う。いろんな軸での「個性的」な音楽が飛び交ってる状況が良い文化的状態なのではないかと思っている。
「個性的な音楽が減ってくる」状況とは
ところがアーティストや音楽家目線で考えると音楽の仕事の多くは前述の通り個性が必要ない。
個性は磨くのが大変である。
すると「個性が必要ない」音楽を連発したほうが楽に仕事になるので、「個性が必要ない」音楽を連発し、宣伝したり営業したりする技術を磨く、という人が増える。そしてそれがうまくいくと認知度があがり、その人が「音楽家」として世間に認知されるようになる。
その結果、個性が必要な部門にまで、その人が出てくる、なんてことはよくある話なのだ。
一方、個性的なアーティストは日の目をみないので売れないし、やめていく。こうすると、「個性的な音楽」をしていても意味ないじゃん、となって、「個性的な音楽」は減ってくる。これはまずいよね。
この流れを止めたいと思ったら
誰かに当たるのは簡単だ。だが誰か一人の問題ではない。
「無個性な音楽ばかりつくりやがって!」と商業音楽家に当たっても彼らは真面目に需要を考えそこに特化した職人となっているわけで、言われる筋合いはない。
「この音楽性、この個性をわからないなんて!」とその人の支持者でない人に攻撃するのもちょっと違う。上記で述べたように人それぞれ個性をどう捉えるかという軸は違う。ただ、「丁寧に布教する」ことは良いことなので推奨する。
会社や人事権を持つ人の裁量というか聴く耳も、もちろん言いたいことはあるが、往々にしてそういう人事権を持つ人も会社の上層部との兼ね合いなどがあり判断しづらいところもあるだろう。
一人一人が気をつけるしかない。
ちょっと個性的な人で面白い人のSNSにいいねリツイートをちゃんとする、ちゃんと個性的なものが欲しかったら然るべきリサーチをして合う人を探す、個性的な人の方は逆にそういう社会情勢をちょっと学んで、いい感じに発信をする。
ありきたりな結論だがそれで文化は豊かになるのかな、と思っている。
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