左手ピアノ:片山柊
クラシックギター 五十嵐紅
による再演。
いい演奏でした。ありがとう。
2020年1月に振り返る
「難しい。」技巧的にも曲へのアプローチも。そして「新しさはない。」
コンクール向けなので難しい。ただし、その中でモノディックな、アルペジオとも旋律ともつかない素朴な線、というニュアンスはできてるかな、という印象。
10分20秒くらいからのところが結局一番綺麗には感じられた。
審査員の川上統さんに「作風が大人になったなぁ〜」と言われたのは非常に嬉しかった。
練度と難易度は自分の中でもっとも高い部類だし、もっと力を抜いた方がいい結果を生むんだろうな、と感じ始めるきっかけともなった曲。
作曲当時書いた曲目解説
(2016年夏)
古くから麒麟は平和の訪れを告げる瑞獣として崇められていたが、同時にある年代までは史実として比較的頻繁に出現が記録され、実在する動物だとされていたという。また、そこでは身体的特徴として「鹿の体に牛の尾」といった、似ている動物がありえなくはない程度のものとして描かれていた。かつては現実世界と隣り合わせの存在だったのである。
時代が下るにつれ、麒麟らしき動物が現れても、簡単には麒麟と認定されにくくなる一方、鳴き声がそのまま音律に合うなど現実には考えられない特徴が記録されるようになる。さらに時代が下るともはや完全に史実からは姿を消し、描かれるときには炎や瑞雲をまとっているなどという特徴が目立ちはじめる。瑞雲とはめでたいことの前兆に現れるという雲のことであり、平和の訪れを告げる麒麟の力に近いものがある。その佇まいに惹かれ、私の中では麒麟と瑞雲は切り離せないものになっていった。
現代において、麒麟ははるか遠い存在になった。
もくもくと広がった不思議な雲の奥に、何かがいるのではないかと想像してみたりもするが、その姿を捉えることはできないだろう。ただ気配を感じられることはあるかもしれない。その気配に揺り動かされながら、雲を辿って現実から突破しようと試みる。そのときの力の動きはどんなであろう。
曲はI部、II部に分かれるが、切れ目なく演奏される。
I.瑞雲踏み
II.麒麟
なんらかの歌ともアルペジオともとれるような素朴な音形がI部のモチーフである。その音形は2度音程をキーとして形作られる。モチーフが膨らみ終えたあたりからII部に突入する。
クラシックギターと左手ピアノはどちらも翳を抱えた楽器であると思う。両者は似ているが混ざりにくい。両者の強烈なぶつかりは鋭利なうねりを引き起こすだろう。その力は現実の壁をともすれば少しだけ引き裂いて、か細いながら神秘を見せてくれるかもしれない。
(2020年1月に振り返る)
真面目だなぁ〜。プログラムノートの扱いについても運営側に物申したりしてました。堅すぎました。今では反省しております。
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